人生の指針
社会に出たら、誰も教えてくれないのだ。
何を?
「自分が送る人生の方向を」だ。
それに気づくまでが遅かった。
おそらく、高卒や、一般の大学生であったならもう少し考えていたかもしれない。
しかし、受験勉強に打ち勝つためだけに頑張り、大学へ入った後は『「医者になるんだ俺」という漠然とした考え=人生の方向』と勘違いしていた僕は、自分の人生においての責任を感じるのが遅かった。
「どうしよう、この先」
何も考えずにただひたすら流されるだけの人生だった自分の生き方に疑問を持った瞬間は、まぎれもなく大学病院での後期研修医1年目の時だ。
「毎日毎日、機械の準備して、外来診て、ただひたすら働いて、それでも医者としての尊厳はなく(後期研修医のため雑用ばかり)、奴隷のように過ごす日々。そして、スズメの涙とさえ言えないような給与明細(4月~12月の給与は200万くらいだった。医者3年目なのに)・・・。あれ?俺はなんでこんなところで働いてるんだろ?」
それでも。
それでも、誰も答えは教えてくれない。
知っているはずの先輩たちは一生懸命働いている。
あれ?なんで、そんなに一生懸命働けるんですか?なんで?なんで?僕がおかしいのか?
そう。同じ道を進んできた先輩たちは、文句は言っているものの、もくもくとその人生を受け入れいれているのだ。
「まずは専門医だ」
これが、僕の出した結論だ。
実は、まだ医者人生なんて始まっていない。
専門医を取ってからがスタートだ。
専門医を取ったら、好きなことをしよう。
専門医を維持しながら、経営でもなんでも好きなことはできるはずだ。
それまでの辛抱だ。
そう思って、あと2年は、頑張るのだ。
そう、言い聞かせている。
目の前にチャンスがあるのに
目の前にチャンスがある。
クリニックの経営だ。
どうやればできるかなんてわかっている。
というか、始めている。
それでも、やはり副業でやるレベルではない。
副業でやるには、荷が重すぎる。
3人でやってはいるが、それでも本業の仕事をこなしつつ、この事業を軌道に乗せるには相当な時間がかかっている。
かかりすぎている。
おそらくこれを本気でやれば去年の10月くらいにはもう始められていたはずだ。
それが、もう、10か月も経ってしまった。
準備は整いつつある。
それでも、まだ始められない。
それは、本業が忙しいからだ。
言い訳なんだろう。
熱意が足りないのだろう。
それでも、やっぱりそれが自分なのだ。
情熱を!ほとばしるほどの情熱を!
というのは、本業だからこそ言える。
本業ではない副業にほとばしる情熱を注げている人は、本業をおろそかにしているか、ほとんどやっていないか、本業での一切の出来事を17時以降に持ち込んでいないかだ。
目の前にチャンスがあるのに!やり始めたら、爆益が見えているのに!
なぜ、こうまでも進まないんだ。
なぜなんだ。
焦る気持ち、そして迫りくる本業の発表。
あぁ~、頭がおかしくなりそうだ。
縛りの無い時間を過ごしたい
思えば、人生で一度も「縛られたことのない時間」を過ごしていない。
「縛られた時間」というのは、たとえ自由な夏休みのような時間であっても、次に始まる日にちが決まっているし、やらなきゃいけない課題があるし、というように、頭の片隅に「何かしらのやらなければならないこと」というのが存在している時間だ。
思えば、6年生の国家試験終わった後の1か月くらいが一番自由な時間のように思えたが、それでも卒業旅行やら、次の就職先への準備やらで、「好きなだけ、好きなことに、気が済むまで」時間を注げたことなんてなかった。
やろうと思えばできるのだろう。
「1日中映画を観たり、1日中読書をしたり」
しかし、これは1日単位だ。
そうではなく、3か月間、ずーーーっとプログラミングを勉強する、とか。
1年間、何も気にせず旅行しまくる、とか。
本当は、自分の人生なのだから、もっと好きに、自由に生きてよいはずなのに、
「学会の準備をしなきゃ」「発表の準備をしなきゃ」「次の○○の準備をしなきゃ」
というように、「何かに縛られ続ける人生」を僕は生きてきている。
早く、専門医を取りたい。
取ったら、1年間くらいは休憩してみたい。
そして、やりたいことは、
・儲けるクリニックの経営
・プログラミングをガチでやる
・旅行しまくる
この3つだ。
自分に興味のある人なんていない
せっかくの1度きりの人生。
よく言われるセリフだが、本当にそうなのだ。
そして、実際自分の人生に興味があるのなんて、自分だけだ。
誰も、自分以外、誰も自分の人生に興味なんてない。
実際は、自分がどう生きようが、他人に与える影響は自分の想像の1000000000の1以下だ。
ほとんどの人がそうなのに、実際は気にしている。
どう思われるか、どうみられるか。
それを気にするのは、自分が有名人になったり、偉くなったり、責任のある立場になってからだ。
そして、実際には、それらのポジションにいる人たちだって、1つ業界を移せば有名でも、偉くも、責任もない立場になることはできる。
つまり、実際には自分の思っている以上に、自分は自由に生きてよいのだ。
もちろん、いくら自由とは言え、「誰かを傷つけること」はしてはいけないが。