当たり前なことだけれど、この世の中は広い。
多分、僕の想像しているのでは想像しきれないほど広いのだろう。
知らないこともたくさんある。
それでも、毎日同じことの繰り返し、毎日同じ仕事をして同じ家に帰り、同じ日々を過ごしているとその広い世界があることを忘れてしまうことがある。
今の生活にストレスはあまりないからいいのだけれど、日々の生活がストレスでいっぱいだとして、この広い世界があることを忘れてしまったら、怖いことになる。
怖いことというのは、ネガティブになってしまう、ということだ。
人というのは、思考を重ねていると必ずネガティブな思考になるようになっている。
そうでなければ、ここまで進化はしないからだ。
「万が一こういうことがあったらどうしよう」という思考があったからこそ、その予想しえない出来事に対して対応することができてここまで進化することができたのだ。
霧がたくさんかかった道を全速力で走り抜ける人はいないだろう。
「万が一、この道の先に猛獣がいたら」「万が一、崖があったら」
そういう万が一を考えて、「最悪の事態」に備える「思考」があったからこそ、ここまで生き延びて進化してきたのだ。
では、そのネガティブな思考になりかけたときはどうしたらよいのだろう。
簡単だ。
外にでるのだ。
外にでて、散歩をする。
そうすると、実は日々通っている道でさえも、「知らなかった道」の一面が見えてくる。
いかに、色眼鏡がかかった見方でその道を歩いていたかがわかる。
そうすると、今自分の考えていることも実は他の考え方をすれば、「全く違った事象」としてとらえることができるようになるものなのだ。
僕なんか、ここ最近ストレスはあまりないものの将来の自分の人生どうしようか、ということで頭がいっぱいだ。
いっぱいだけど、それでも自分ではどうしようもできない(他の考え方をすればそうではないのかもしれないが)状況だから考えても仕方ない。
考えても仕方がないから、ゲームをするか、寝てるか、でどんどん光速で日々が過ぎていく。
そうるとふとした瞬間に「このままでいいのか」というまた将来への不安がでてくる。
出てくるけど、それを考えても仕方がないから、またゲームをするか寝るか。
という無限ループに陥っている。
そんな時、ふと外を散歩してみる。
そうすると、「ま、いっか」という気持ちになる。
ま。いっか。ではよくないのかもしれないが、そういう気持ちになるのだ。
そういう気持ちになるというのは大事だ。
なぜなら、ま、いっか、とならなければずっと考えてしまって、胃が痛くなってしまう可能性があるからだ。
根本的な解決にはなっていないけど、それでいいのだ。