楽しいことについて考えてみた
昔の記事で、人生の楽しいことの根本的な部分を一言で表すと、「自分と外界の交流である」というようなことを書いた気がするが、今回はそれぞれ具体的に考察をしていきたいと思う。
僕の考えなので、異論は認める。
大きく次の項目があると思われる。
- 読書
- 映画やYoutubeなどの動画鑑賞
- ゲーム
- クリエイティブなこと
a. 絵を描くこと
b. 動画作成
c. こういった文章を書くこと - 勉強
- 仕事
- 家族との時間、友達との時間
- 旅行
a. 観光
b. イベント - グルメ、会食
- スポーツ
これらを、一つずつ解説していきたいと思うが、最後まで書ききるのに数週間はかかったので、かなりの超大作になってしまった。
おそらく読み切るまでにも今までの記事とは比べ物にならないくらいの時間がかかってしまうことはご了承いただきたい。とはいえ、10分程度だと思うが。
1. 読書
最近、読書を意識的に始めるようにした。
「本を読む」という行為は自分の中で、好きな行為のうちの一つであったが、仕事で疲れたり、最近ハマっているゲーム(APEX)をしてしまったりして、「読書をしよう」思わなければ自然に読書をするような習慣になるほどではなかった。
しかし、よく言われているように、読書は「人生の幅を広げる」という意味において、大いに役立つものであるであるから、「人生の幅を広げたい、広げたい」と思ってばかりいる僕としては、読書をやめてしまう訳にはいかないのである。
読書する本の内容にもよるが、世の中の大半で言われているような名著は、おそらく役に立つことが多いであろう。だからこそ名著と呼ばれている。
その名著と呼ばれる本の種類にも、様々なものがある。
小説であったり、自己啓発本であったり、実用書であったり、スピリチュアル的なことが書かれている本であったり。
自分の興味のある分野について読むのはもちろん楽しいし、自分が知らないけれど、知ってみたい分野についての知識を得るために読むというのも楽しい。
とにかく読書は楽しい。
そこで、読書に関して僕が思うことを徒然なるままに書き連ねたいと思う。
なぜ読書は楽しいのか
そもそもなぜ読書は楽しいのか、考えてみた。
まずは、ジャンル別に考えてみる。
小説
ストーリーが主な楽しみの一つ。主人公やそこに出てくる人たちのある意味人生を追体験できることが楽しい。なぜ楽しいのかというと、人は想像でも楽しむことができるからだ。(ミラーニューロンがあるからという話は前回したので参照されたい)
自己啓発
自分のやる気を奮い立たせてくれる本が多い。しかし、何十冊か自己啓発本を読んでいると、書かれている内容は大体同じと言うことに気づく。そして、やる気を奮い立たせてくれるものだが、実際に書かれている内容を行動に移さなければ、自分の人生は何も変わらない。行動に移して継続できる人は、おそらく読んだ人の1万分の1以下と推察する。逆に言えば、そこに書かれていることを実行する、そして継続するだけで、人口の1万分の1にはなれるわけなので、日本の1万人に入ることができる(年収で換算すると、1億円以上の人が2万人くらいなのでそれくらいの貴重な人物になれるということ)。読む目的を、「よし、人生を変えるぞ!」というものでなくとも、影響を受けやすい僕としては、定期的に読むことで心の燃料にするのが良いという結論になった。
随筆
実際にあった出来事をもとに書いているため、感情移入しやすい。さらに、「事実は小説より奇なり」とも言われるように、実際にあった出来事はびっくりするような出来事で、小説よりも面白いようなこともしばしばある。同じような日常に自分なりの解釈を加えた内容であれば、自分の生活にも同じように何かしらの解釈を加えるヒントになることがあり、新しい発見であると同時に人生に彩りが加えられる。
有名人が書いた本
有名人が書いた本は、その有名人が好きな人たちが購入することが多い。そのため、最初から「印象が良い」状態から読み始めるので、楽しいのである。内容はともかく、「好き」という感情がその著者に対して湧いている以上、楽しめるはずである(本当に内容がペラッペラでなければ)。
しかし、逆に言えば、本を読んで「なんだ、こんなものなのか」と幻滅してしまうこともある。僕の場合で言えば、Youtuberのラファエルが5年くらい前から好きであったが、彼が出した本があまりにも「ペラッペラ」でくだらなさすぎて、それからYouTubeも見なくなった。笑
その逆で言うと、「ホリエモン」が書いた「0 ゼロ」という本を読んだときに、世間で騒がれている彼のイメージと、彼の本心からのエネルギー、思考、情熱などがあまりにもかけ離れており、「この人は・・・すぎょい!!!」となり、ファンになった。その後、彼はバンバン本を出しまくっているが、その内容としてはライターが彼の言うことをまとめているだけなので、何冊か読んだころに「なんだ、また同じこと書いてあるじゃん」となって、あまり買わなくなった。笑
西野さんも、僕は本から入ってファンになった系である。
実用書
実用書はあまり読まない。最近読むようになったのが株の本だが、「株の世界」自体が、僕のとって初めての世界なので「面白いはずだ!」と思って読み始めたが、なかなか難しいのと、実際読んでそれを実践するまでに時間がかかってしまうので、思うように読書が進まない。特に、昔からの名著と呼ばれている本ばかり購入してしまったので、文章が堅苦しくて読むのが辛いほどだ。でも、実際に手を動かしならが読み進めるのは楽しい。実用書の場合、実際にやりながら進めるのが良いと思われる。読むだけは、結構辛い。
心理学系の本
実用書の中に入るかわからないが、自分の興味のある分野の本なので面白い。特にダニエルカーネマンの行動経済学の本や、Daigoさんの本などはするする頭に入ってくる。Daigoさんの本は、すぐに読めてしまうので、値段に対して得られるものがあまり多くなく、大量に出しているので最近は読んでいないが。
次に、どうして読書そのものが楽しいのかについて、論理的な思考で解説をしようと思ったが、複雑なのと人によって何が楽しいかという基準については意見が分かれるものなので、言及しないこととした。
次は、あるあるについて話していこうと思う。
あるあるシリーズ
面白い小説あるある
面白い小説にも、色々ある。
実際の現実世界をもとにしたものから、SF、ミステリー、ホラー、謎解き系など様々である。一つずつ、あるあるを考えていきたいと思ったが、一番最初に書いた文章が、後から読み返すとどれにも当てはまりそうな気がしたので、それで終わりとする。
主人公は精神的にも肉体的にも未熟な状態で、ある出来事をきっかけに未知の世界に入り込む or 大きな目標をもとに旅に出る or 異世界に飛ばされる or 事件に巻き込まれる。
そこで、目的を達成するためには何が必要なのか、どういう成長が必要なのか、指導者的な人 or 仲間 or 敵 などに出会い、知ることとなる。
その後、様々な困難を乗り越えていくこととなる。そのうち、過去のフラッシュバックや、主人公や仲間たちが抱えていた問題 or 過去 or その他諸々の関係
などがどんどん暴かれるようになり、物語はヒートアップ。最終的には、成長した主人公が、
元の世界、日常に戻るための「キーとなる何かを得る」 or 「目的を達成する」or 「事件が解決する」ことで物語は終了となる。
自己啓発あるある
これは思いつくままに羅列したい。
- 夢や目標を紙に書いて見えるところに貼れ
- ポジティブな思考を心がけよ
- 人生は自分の思い通りになる
- ピンチはチャンス
- 行動しないと変わらない
- 変えられることだけに目を向けよう
- 失敗は当たり前、挑戦をやめるな
- 今できることから始めよう
- 成功して有名になった人の、過去の話を出す
- 大体過去の話は、失敗した話
こんな感じだろうか。もっとある気がするが、大体上のようなことを長くいろんな表現で書いてある。
随筆あるある
これも、列挙したい。
- 猫が出てくる
- 明らかに、何も無かった日常を無理矢理何かあったように書いているところが出てくる
- 雨降る
- 快晴の日もある
- 天気の話から、人生の話につなげる
例:梅雨というのは、心を憂鬱にさせる。思えば僕の人生で梅雨のような時期もあったのかもしれない。しかし、終わらない梅雨はない。いつか、晴れる時がやってくるものだ。 - 日常に、些細な事件が起きる
例:猫が暴れる、子猫をたくさん産む、など
よく考えたら、僕、伊集院静くらいしか読んだことないかも知れない。しかも、1冊。
有名人が書いた本あるある
これは、あるあるを書くのが難しい。
それぞれの人について、特徴をまとめてみる
ホリエモン:基本的に実学尊重タイプ。無駄なことは省く。社会的に「当たり前」と思われていることでも、「実際に役に立たなければ無駄」と考える傾向が多い。「洗脳」という言葉が好き。「やってみたらいいじゃん、と思う。」というフレーズも好き。そしてその後に、「こう言っても実際にやる人はほとんどいない。どうしてだろう、〜〜すれば、〜〜なのに。おそらく〜〜〜なのだろう。」と続く。
ラファエル:あまりにも内容がペラペラすぎて、覚えていない。
西野さん:情緒的な文章が最後に添えられる。本人曰く、尖った言葉は使いすぎると人が離れるので使わないように気をつけているとのこと。
Daigoさん:書いている内容を、本人がしゃべっているように脳内で再生するとわかりやすい。すぐに読める内容。スラスラ入ってくる。
実用書あるある
実用書は、そのさらなる細かい種類によってあるあるが違うので難しい。
株の本も読んでいるが、よくあるビジネス書に書いてあるようなこともここに列挙したい。
- 朝の時間めっちゃ活用できるって話
- 早起きは三文どころか、100文の得、的な話
- 会議は無駄
- 要点を話す、問題を解決するためにはどうしたら良いか炙り出して話す
- 目標を細かく分割して、今できることを明確にせよ的な話
- 睡眠はめちゃ大事、食事も大事
- とにかくめちゃくちゃ集中してやりまくることも大事
- ビジネスでは結果が全てで過程は関係ない
- とにかく効率化
- 自分のできないことと、できることを見極めよう
- できないことは人に任せろ
- 社員のやる気を出す誉め方は、頑張っているねと相手のやっていることを認めてあげること、失敗した時の叱り方は、〜君らしくないな、どうしたんだい?と聞くこと
- 休憩時間の確保の重要性
- 瞑想ってすごい的な話
- ビジネスは簡単だ、的な話
- 商品を仕入れて、売るだけ、粗利をでかく、単価は高く的な
- 何をやるにせよ、大きな信念・目標的なのは大事だよ的な話
- 心が折れそうになった時は、こうするのが良いよ的な話
そろそろこのブログの文章自体も、10個あるうちのまだ、1なので、他にもたくさんありそうだが、割愛させていただく
心理学系の本あるある
- ミラーリング
- 返報性の原理
- サンクスコスト
- 損と、得に対して人が感じる感情の大きさについて
- プラセボ効果
- ノセボ効果
- アンカリング
- ハロー効果
- コントラストを利用した心理学的効果
- バイアスについて
- 人の性質について、決めたがる、判断したがるなど
- 痛みについて
- マーケティングに応用できる文章の書き方について
- 人はストーリーが大好き
- デフォルト選択しがちな人の癖
- 性格別の分類
- 話し方について、身振りなど
- 話し方は、聞き方である
- 相手から話を引き出す聞き方について
- 習慣は大事だよという話
- 運動も大事だよという話
- 大衆心理的に、みんなが選ぶものを選びがちっていうことについて
まだ、1の読書しか書いていません。
僕の書きたいことは山ほどあるので、少しずつ書き足していきたいと思います。
2. 映画やYouTubeなどの動画鑑賞
まず、映画が好きな人はどれくらいいるのだろうか。
最近流行りの「鬼滅の刃」の観客動員数はまさかの2300万人(日本の人口の5〜6分の1)なので、これくらいは映画が好きな人がいる、、、という推察はあまり正しくないだろう。
調べてみたところ、2019年の年間総観客動員数は2億人に行かないくらいで売り上げが2600億円程度らしい。
映画好きな人や、年に1回しか観ない人なども含めて平均が5回くらいとすると、4000万人の映画好きがいることになる。おっと、これは多いような気がするので、平均10回として、2000万人となる。
ふ〜む。鬼滅の刃は映画をみる人はほとんど観に行ったと考えて良いものか。いや、おそらく家族で見に行く人、2回以上見に行く人などもいるので、映画が好きな人はもう少し多いか。3000万人くらいだろうか。
もっと精密なフェルミ推ての方法がある気がするが、大体3000万人くらいとしよう。
とすると、大体四人に一人は「映画をまぁ観るし、好きだ」ということになる。
いろんな趣味がある中で、これほど共通して好きなものに入るものも珍しい。
ではなぜ、映画がこれほどまでに人を魅了するのだろうか。それは一言で言うと「人はストーリーが大好き」だからだ。
ほとんど全ての映画はストーリーである。主人公がいて、周りで何かが起こる。それを映像として表現しているのが映画である。そこにストーリーがあると、人は興味が湧いてくるのである。
ではなぜ、ストーリーが大好きなのか。
それは、人間は自分の人生そのものがストーリーであるから、映画という媒体を介して、「自分以外の人の人生を追体験できる」と知っているからである。
この世の中で自分にとって一番面白いもの、様々な体験をし、感情が動いてい実感しているもの、それは「自分の人生」だ。そして、人生=ストーリー=面白い とわかっているので、自分以外のストーリーが映像として始まった時、興味が湧き、楽しめるのである。
次はYouTubeの動画など、昨今におけるSNS動画について考えていきたいと思う。
昨今のYoutubeや SNSがこれだけ流行っている理由としては、いくつかの要素があげられる。
まず、「世の中には面白い人がたくさんいる」ということ。
そういう人たちがテレビに出なくても、簡単に動画や情報発信できるようになったので、面白いから流行っているということが一つの要因であろう。
そして、2つ目が、人は人に興味がありSNSは人のプライベートや考えを覗き見できる媒体であること。
最後に3つ目が、心理学的、脳科学的にランダムにドパミンが放出されるものに対して人は依存を形成しやすいということだ。
これらの3つの要素が絡み合い、これだけ爆発的にSNSが普及した。
テレビ黄金期の時代はそろそろ終焉を迎えるであろう。すでに、インターネットに対しての広告費の方がテレビに費やす広告費を越したとの報告もある。インターネットを通じてのビジネスに関して、目を背けていては時代に取り残されるだけである。これから、ビジネスをするならネットの力を利用しないのは、誰かのやり取りにおいて手紙を利用するのと同じくらい効率が悪い。
3. ゲーム
ゲームは、プレイする人の楽しさを考え尽くされた究極のものだと思う。
ゲームこそ、究極のエンタメだ。もちろん、ゲームにもストーリーが絡んでくるものと、ストーリーのないものがある。ではストーリーのあるゲームはそのストーリー性に惹かれるというのはわかるが、そうでないゲームは一体何がそこまで人を惹きつけるのだろうか。
例えば、テトリス。
テトリスは、上から降ってくるブロックをただ横に揃えて消していくだけのゲームである。それだけのものなのに、なぜあれほどまでに流行ったのだろうか。まず、ブロックを消す作業が、今後何かしらの作業の能力を高めるわけでもないし、何か新しいものを産むわけでもない。上手くなったところで、何も得られるものもない。なのになぜ?
そう、「スコア」である。
おそらく、人は「数字」が大好きなのだ。
自分の手を動かして、積み上げた「数字」が増えていくことに快感を覚える。お金が増えるとドパミンが出る仕組みと同じだ。
数字のないゲームはどうだろう。
おそらく、「収集」「コレクター」などの要素が絡んでいる。動物の森などはやったことないが、おそらくこういう系統のものであろうと予測がつく(違ったらすまん)。今少し調べたところ、「交流」がメインとの解説が多い。「交流」が楽しいことは、僕のこの記事を書くきっかけとなった考えでもあるから、納得がいく。
他のどのゲームに関しても、「スコア」もしくは「ランキング」が絡んでくる。いずれも、「数字」だ。
では、さらに細かく分析して、どういうゲームが人気なのだろうか。
人気のゲームに入っているものを思いつくままにあげていきたいと思う。
- スコア、ランキング
- 収集、コレクト要素
- ストーリー(はなくても人気が出ることがある)
- 手を動かしてゲームを開始し、成功すると心地よいチャリーンとかスコーン!的な音がなると同時に、スコアが入る
- オンラインゲームでの他のプレーヤーとの交流
- 難易度がプレーヤーのレベルにちょうど良いようになっている
- 新しい要素がどんどん更新される
- 驚きのあるギミックが隠されているとことがある(細部まで作り込まれている)
- クリアの方法がひとつではない
などであろうか。
僕が今ハマっている「APEX」というゲームは、上記の要素が全部入っている。というより、今APEXを想像しながらこれを書いた。
4. クリエイティブなこと
a. 絵を描くこと
これはもはや感覚のレベルなので、文章として説明するのは難しいと思う。
しかも、絵を描くのが好きな人もいるが、別に好きでもない人もいる。ただ今回は、絵を描くのが好きな理由について考えていくので、好きでない人については考えないこととする。
どうして、絵を描くのが好きな人がいるのだろうか。
それは、絵というものは「ある意味別な空間や存在を作り出すこと」であるからなのではないかと思う。(これは、小説にも通づるところがある)
しかし、絵にはストーリーなどはない。空間や存在を作り出すことは、人の快感に繋がるのだろうか。
これは、ゲームがなぜ楽しいのかについて考えた時の、「数字」が大好きという理論とつながるのではないかと思う。
人が数字を好きな理由は、「目に見えて成長していることや、結果がわかるから」だ。
つまり、自分の行動や、技術が眼に見えてわかるものが数字なのだとしたら、眼に見えて別な実績として残るのが「絵」である。
自分の想像したものや、手を動かして実際に書いたもの、作ったものは「残る」。
残る、ということは、そこに「存在する」ということなので、ある意味「数」として数えることができる。
ざっくりしすぎな気もするが、根っこの部分は同じような気がする。
b. 動画作成
これも、上記の理由と同じである。自分たちが作ったものが、「残る」からだ。
人は自分のした行動が残ることに関して、開館を感じるのかもしれない。
そして、Youtubeなどはそれが他人に「評価」され、「再生回数」「登録者数」として、はっきりと結果にでる。
TOPを目指そうと思うと、はじめの方はなかなか伸びずに途中でやめてしまう人が9割以上いるようだが、実際に反響が出てき始めると「楽しい」のであろう。
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c. こういった文章
文章に関しては、自分の思考の整理でもあるので、書いているのは楽しい。
自分が一体どのような思考過程で、こういう結論に至ったのかは、実は忘れていることも多々ある。
なにせ、このBlogに投稿した文章でさえ、自分で読み返して「あぁ、この時は俺、こういうように考えてたのか。」とびっくりするほど忘れているのだ。
実は、高校生の時からBlogはやっていた。
大学受験や、学校のテストに影響がでるほどまでBlogに熱中していた時期もあったくらいだ。
しかも、そのころはこういうPCで文字を打ち込むのではなく、今はほとんど見かけないパカパカと折りたためる小さな携帯をポチポチ押しながらのBlogである。
我ながら、無駄だったなぁ。と思う。
そのBlogは「ブログリ」という既にサービスを終了してしまったところで運営をしていたのだが、特に人気がでることもなく、サービスの終了とともに消えてしまった。
そこで得られたものは、「特にない」
本当にかすかな記憶で、流行っているブログでの文章の書き方を真似してみたり、一回だけ、ブログのつながりで仲良くなった人と電話をしたくらいである。
しかし、電話代金を考えていなかったので、電話代が2万くらいかかってしまったことは非常に鮮明に覚えており、お父さんに謝罪した記憶までしっかりある。
おそらく、親父は不機嫌にはなったであろうが、そこまで怒られた記憶はない。
おっと!どうして楽しいのかという本題から外れてしまった!
どうして文章を書くのが楽しいのかと言えば、「考える」こと自体が、楽しいからだと思う。
実は「考える」ということは、かなりのエネルギーを必要とするが、だからこそ、「至上の楽しみ」でもあるのだ。
人は、なるべく楽に生きたいと思う反面、自分の興味のあることについては、とことんやるのが楽しくなるという性格である、と私は考えている。
では、なぜ「考える」こと自体が楽しいのか。
それは、答えがあろうと、無かろうと、自分の今まで生きてきた人生経験をもとに、ある物事からどうしてそういう結果になるのかということについての、「理由付け」をするのが楽しいからではないか。
「理由付け」をするのがどうして楽しいのかというと、論理的に原因と結果が分かれば、次にその同じような状況が起きたときに起きる結果について予測ができること、そして、何かが起きた時の原因についての思考が今までの経験があればすぐに推測できるからだ。
つまり、結果的に考えることで、予測をしたり、推測をしたりしやすくなる。生きやすくなるのだ。
何度も何度も同じ罠にひっかかってては、生きにくいであろう。人類は、考えることで記憶することで進化してきた。
進化した理由は、人間が「考えることが好きな生き物」であったからに他ならない。
考えることが好きな人間は、考えた内容をこういった文章で書き残すことも好きに違いない。
5. 勉強
勉強というと、それだけでアレルギー反応を引き起こしてしまう人もいるようだ。
もちろん、僕もその一人だ。
しかし、よく考えてみると、「知らないことを知る」「わからないことをわかるようにする」「できないことをできるようにする」という行為が勉強であるならば、ほとんどすべての人は、日々の生活で勉強をしていることになるのではないか。
今まで自分が生きてきた知識「のみ」で生きることは実は、難しい。
知らないことを、「ググる」。これも実は、勉強のうちに入る。
勉強というと、机に向かって必死に英語や、数学などをすることのように思われるが、そうでもないような気がする。
確かに、一度では覚えきれないことがほとんどであるから、確実に身につけなければならないことであれば、机に向かって必死に勉強しないといけないのであろう。
しかし、勉強の範囲を広くしてみれば、例えばYoutubeで中田のあっちゃんの動画を見ることや、ニュースで知らなかった出来事をしることも勉強のうちに入る。
それを、「知識」として「記憶に残す」、ということまで含めるとそれは「興味の度合い」や「覚えようという気持ち」に左右されてしまうので、そこを「覚える」「できるようにする」ということに特化した技術が勉強法なのだと思う。
アレルギーを起こす人も、実は大好きな芸能人や大好きなドラマであればスラスラ物語の内容をしゃべることができたり、好きなスポーツやゲームで高得点を取ることができるように、実は勉強に対するイメージを変えてあげることで勉強の成果が抜群に上がることも多い。
そうはいっても、大学受験や試験勉強などは僕が思うに「圧倒的な時間」をかけることが最も効率よく勉強の成果が出るとは思うが。
さて、では勉強に対してそのアレルギー反応を引き起こしてしまうほどの勉強嫌いな僕が、どうしてそれでも勉強は楽しいものだ、と言えるのかというと「新しいことができるようになる」「知らないことを知る」喜びを知っているからだ。
人の究極の欲望は、知識欲であると僕は思う。
欲望に忠実であれば、実は勉強することは最高のご褒美であると思うのだ。
確かに、理解するのが難しい事柄であればあるほど、勉強の量が増えるため面倒くさいと思ってしまい、Youtubeでさらっと動画を流したり、さくっとインターネットで調べたりするだけでは済まなくなるだろう。
しかし、それでもその新しい知識を頭に入れたり、できるようにするために本格的に勉強し始めると、知らない世界がさらに広がり、それにとどまらず、知識と知識が新しいつながりを持つようになると脳は興奮するのではないかと思う。
実際、僕が最近始めた株について勉強し始めると世の中の様々な仕組みや、政治に興味が湧いてきたように、一つの事柄について新しく勉強をし始めると、それを勉強するまでは全然興味のなかった物事にも新しく興味が出始め、知識欲が暴走し始めるのである。この、知識欲の暴走状態に入った時はシメタと思ってよい。なぜなら、その知識欲の赴くままにどんどん新しい事柄を勉強していき、知識を増やすことは自分への投資であると同時に、さらなる思考の強化へと繋がるからだ。思考が強化されると、さらに勉強の効率化が加速化する。そうなったら、もはやスーパーサイヤ人モードである。
こんな感じで、勉強というものは実は、人に与えられた究極の欲望である知識欲を満たしてくれる最高のご褒美なのである、と僕は思うのだ。
6. 仕事
仕事が大好きです、仕事が趣味です。
という人は、カッコ良く見える。
なぜなら社会的に見て、仕事をするのが当たり前と思われている社会であり、バリバリ仕事を回している人は、単純にカッコ良いからだ。ある意味スポーツで活躍している選手と同じようなカッコ良さがある。
しかし、周りを見渡してみて、実際はどうだろうか。
仕事が嫌で嫌で仕方ない、転職したい、休みたい、会社に行きたくない、辞めたい・・・という人を少なくとも何人かは見たことないだろうか。
よく、自己啓発本とかには「仕事は面白いかどうか、ではなく面白くするかどうか、だ。結局は自分次第」というような文言があるが、本当にそう言い切れるだろうか。
生活するため稼がなければいけない状態であるから、仕事をしているが、実際手元に100億円あっても、今の仕事をしたいと思うだろうか。
経営者であったり、自分の会社を持ったことがあり事業をするのが楽しい!という一番最初に書いたような、仕事が大好きですという人であれば、おそらく、手元に100億円あっても、まだまだ仕事がしたいと答えるだろう。
しかしそうでなければ、今の仕事はやめて、
自分の好きなことをしながら、タワーマンションの最上階に住み、毎朝綺麗なクラシック音楽と小鳥のさえずりで目覚め、カッシーナのキングサイズベッドですやすや眠る美女を横目にゆっくりと伸びをしてさわやかで芳醇な香りのするコーヒーとふわっふわの食パンで朝ごはんを済ませ、さて、今日はパリにある伝説のシェフが作るランチでも食べに行くか、とプライベートジェット機でふらっとヨーロッパへ行き、散歩をしつつ疲れたところでそこのランチをいただく。そして、夜はハリウッドの演劇でも見に行くかとファーストクラスでワインをたしなみながらアメリカへ飛び、演劇を楽しみ、その夜はスウィートに止まりながら美女と過ごす
という生活をするに違いない。あ、僕の場合だけど。
でも、これが毎日続くといずれ、「なんで生きてるんだろう」状態になってしまうのではないだろうか、と心配する人がでてくるだろう。
そんな夢みたいな生活、絶対に飽きる、とか、働いていた方がましだ、とかいう人は絶対に出てくる。
そうだろうか。
夢みたいな生活を送りながら、自分の気持ちが心地よい人たちとだけ関わり合い、面白いことを考えて、演劇や楽しいことをしながら生きている人は実はたくさんいる。世の中の富豪たちはそうやって生きている。
働いていた方がましだ、とか絶対飽きる、とかいう人は自分がそうできないから僻んでいるだけだ、としか言いようがないし、そう思っている間はおそらくそういう生活を送ることはできないだろう。なぜなら、それが本望だからだ。
僕は、さっき描いたような生活がしたいので、いろいろなことに挑戦し、いつか実現する。
なぜなら、それが本望だからだ。
おっと、話がずれてしまった。
仕事が楽しい、と思える理由を考えるんだった。
そう。
では、一番最初に書いた人のように、仕事が楽しい人はなぜ仕事が楽しいのか。
それは、自分のやっている仕事が「働いている自分にとっても」「働くことで役に立つ誰かにとっても」そして「世の中にとっても」良いことである時である。
つまり、ビジネスでいう「三方良し」の場合である。
成功する仕事、楽しい仕事、というのは、この三方良しの状態が維持されていることが多く、だれか一人でも、悲しむようなことがあるビジネスは必ずいつか破綻する。
これは、この世の中の仕組みを考えてもらえばすぐにわかることだが、良いものは売れるし、流行る。
悪いものは、いつかほころびが出て滅びる、という世の中の常である。
しかし、だからと言って、だれかが損するようなビジネスが成功しない、とは言っていない。継続ができないだけだ。
世の中には「情報商材」で一気にイメージが悪くなってしまったが、その情報商材の「一分野」である、「ビジネスで稼ぐための情報を売る」というくだらないビジネスが存在し、しかもそれをだまされて買ってしまう人が一定数いることで、そういったビジネスがあることは事実だ。確かに、情報商材を売ることはビジネスの4原則にのっとており、有効な手段ではある。だが、世の中にはその料金を払うだけの価値のある情報商材はほとんどない。本当にそれだけの価値があれば、実際もっと名前がうれているはずだし、有名になっているはずだし、大きな企業になっているはずだからだ。個人でやっているものはほとんどその価値はないと考えてよいだろう。
では、そういう怪しいビジネスではなく、仕事が楽しくなる三方良しの場合、なぜ楽しいのか。
それは、その三方良しの状態を具体的に言い換えた場合によくわかる。
働いている自分にとって良い=給料が良く、労働時間が負担にならない、健康的な生活を送れる、ストレスが適度
働くことで役に立つ人がいる=自分が働くことで感謝をされる、ありがとうと言われる、喜んでもらえる
世の中にとって良いこと=自分が働くことは世間の人から称賛される、直接でなくとも経済を回している、遠くの人も喜ぶ
上の3つを想像しただけで、毎朝それならば楽しく仕事ができそうだな、と思わないだろうか。
僕は思う。そして、そういう仕事は何か、といつも考えている。
ビジネスチャンスは、実はいろんなところに転がっているはずだ。誰かが困っていることを解決することを常に頭の片隅に置いておくだけで、日々の生活が全く違って見えるだろう。
チェーンを開発した人
例えばだが、よく駐車場とかにある車が侵入できないチェーンを見かけたことがある人は多いと思う。
あれを開発した人は、自動ドアを見ていたときに、「あれ?これを縦にしたらチェーンになるんじゃね?」っていうノリで特許を取り、それで億万長者になった、と昔テレビでやっていた。
おそらく、その人も常日頃からビジネスチャンスはないか、と想像を働かせていたのだろう。
自動ドア何て何十年も昔からあるし、それを縦にする、というだけ、というのは後から振り返ればだれでも思いつきそうなアイデアだ。しかし、実際にそれを実現させたその人が一番、その人の財産となる。
世の中はそういうアイデアで実際には溢れかえっているはずだし、たぶん実行する人があまりにも極端に少ないだけだと思う。
「ビジネス」につなげる発想をしながら日々生きている人なんて、一握り、そしてそれを実現する人なんて数人しかいない。
この人みたいな一発の発明を期待しているわけではないが、日々の生活常日頃からビジネスチャンスはないかと生活するだけで、見えてくる世界が違ってくるのは確かなことだし、そうでなければ今の生活を脱出することはできないし、いつまでたっても富豪の生活なんてできやしないからだ。
今の仕事は嫌では無いし、手術も楽しいので成長もできるから楽しい面もあるけれど、おそらくあと10年もすれば、一生続けるには退屈だなと思うに違いないと感じているので、いつか自分の事業を起こしてビジネスを展開したいと思っている。
遅くても遅すぎることはない
この例でいうと、必ずKFC(ケンタッキーフライドチキン)の創業者、カーネルサンダースが引き合いに出され、「彼は65歳から自分のチキンの製法をフランチャイズとして広めるフランチャイズ化に取り組んだ」という話を引き合いに出す人が多いし、僕もそれを言おうと思った。
しかし、彼はアメリカ合衆国での話だし、日本人の例を出そうと思う。
皆が知っている、「Book off」を創業したのは坂本孝という人だが、彼がBook offを始めたのは51歳の1991年だ。
そして、2007年に退職後、「俺のフレンチ」などで有名な俺のシリーズのレストラン経営会社「俺の株式会社」を設立し、そちらも成功させている。この時の年齢は、67歳。67歳から、全く新しい事業の経営をしているのだ。すごすぎる。
しかも、最近はネット通販まで始めたようだ。リンク↓
あの「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」がご自宅で食べられる【俺のEC】
でも、おそらく、「やるか」「やらないか」の2択なのだろう。
よく「人生1度きりなのだから、やってみよう」という人がいるが、本当にその通りだ。
やってみたい仕事があるなら、やったらいい。よく考えたら、僕が医者をやっているのも、高校生の時の自分が「医者ってかっこいいな、やってみよ」というノリで医学部受験をした気がしてきた(今思っているだけで勘違いだと思うけれど)
7.家族との時間、友達との時間
さて、話が長すぎて、主題を忘れそうになっている人もいるだろう。
ここまで読んでくれてありがとう。
そう、そもそもは「人生において楽しいことは何か考えてみた」という名目だったはずだ。
家族との時間、友達との時間というのは人間である以上、絶対に必要な時間だと思う。
浪人したことがある人や、どこかの部屋に何時間もずーっと閉じ込められたことのある人ならわかると思うが、「1日、人と話すことなく過ごすと、頭がおかしくなりそうになる」という経験をしたことがある人は少なくないのではないか。
つまり、ヒトって生き物は、誰かとおしゃべりしないと生きていけない生き物なのではないか。と思う。
おしゃべりの内容はなんでもいい。
でも、おしゃべりしないで生きていける人っているの?と思わないか。
確かに、ある物事に集中して、やり遂げなければならないことがある時、それこそ大学受験の勉強しなければならない時や、大量の仕事が残っていたり、進まないプロジェクトを進めなければならない時などは数日間それらのことに没頭しなければならない時期もあるだろう。
それでも、ヒトとのコミュニケーションを取らずに過ごしていると、ふとした瞬間にまさに「気が狂いそうになる」のだ。
あ、僕の場合は、だけれど、この感覚分かってくれる人はいないでしょうか?
8.旅行
a. 観光
観光名所、呼ばれるところには「不思議な空気」だ流れている。と僕は思う。
しかし、それは「僕がそう感じているだけ」である可能性が高い。
なぜなら、僕が感じるその不思議な空気は、例えば地元の山にポツンとある誰かが建てたであろう小さな神社のようなところにも感じるからだ。別に観光名所でもなんでもないのに、「神秘的な何か」というような、そんな空気を感じることがある。
逆に、観光名所と呼ばれていても感じないこともあるので、一概には言えないかもしれない。
おっと、話が見えないぞ。観光が楽しことの理由を述べていく。
観光をすることが「楽しいこと」であることの一つである理由は、ただ一つ、「非日常」であるからだ。
その観光名所で毎日働いている人からすれば、そこは「職場」であり「日常」である。
人は「非日常」を求めて観光をするのである。
そして、各々の観光の目的は必ずある。目的がないのに、観光には行かないからだ。
その目的というのは
・観光名所自体に興味がある
・友達や家族などとの交流目的
・考え事がある、ビジネス調査のためなどの明確な目的を果たすため
のいずれかだ。
観光名所自体に興味もなく、交流目的でもないのに観光名所に行くことはない。
例え一人旅であったとしても、「ふと寄ってみた」という、その「ふと」というのが興味を引いたことに他ならないからだ。
僕の想像を超える目的のない観光があれば教えてほしい。
b. イベント
イベントは人生において、かなりのスパイスだ。
むしろ、人生の実りというのは、「イベント」のために他の日々の日常がある、と言っても過言ではないのではないか。
そして、そのイベントの中に、観光も含まれるかもしれないが、ここでのイベントというのは「フェス」や「お祭り」「行事」など様々なことを含む。「大学受験」や「大会」などもイベントに含まれるであろう。ただし、これらが楽しいとは限らないが。
イベントが楽しい理由もまた、「非日常」であるからだ。
ドライブや、散歩、なども含むこととする。
日常が好きという人間の習性と、非日常を楽しむというその矛盾
毎日繰り返す日々ばかりを過ごしていては確かに「刺激」や「新しい環境に慣れるためのストレス」などが少ないため、快適に過ごせるだろうし、人間というのは「デフォルト」を選択しがちであるから、例えば月に1回行くか行かないかの出張先では、一度でも入ったことのあるお店があればそのお店をもう一度選択する可能性というのはかなり高まるのだ。
例えば、僕の場合ほとんど行かない外国でさえ、僕が大学生の卒業旅行で行ったところへ、卒業後にもう一度行く機会があった時にまさかの卒業旅行で利用したお店をもう一度利用する、というようなことがあった。
日常や繰り返すこと、同じこと、同じもの、というのは人間にとって「新たな脅威」というリスクを減らりストレスにはならないかもしれないが、「非日常」や「新しいこと」「普段なら起きないこと」であるイベントというものがあるからこそ、人の人生の幅は広がると考えているし、だからこそそこに「楽しさ」を感じることができるのである。
これは、日常が好きという人間の習性と、非日常が楽しいということの矛盾をはらんでいるように思える。
この矛盾に関しては、解決しないこととする。なぜなら、人生というものはこういった矛盾だらけだからだ。
こういった矛盾を言葉で解決しようとしても、それは人生の楽しい味に無駄な雑味を加えてしまうことになりかねない。
知らないことがいいこともあるし、考えない方がいいこともある。
僕はとことん考え抜く性格だが、この「日常」「同じ動作」「デフォㇽト」を選びがちな人間なのに「非日常」である「イベント」が楽しく感じる、という矛盾については、言語化したらイベントそのものが楽しい理由がなくなってしまいそうで、追求しない。
9.グルメ、会食
これはもはや、賛同してくれる人がたくさんいそうだ。
「食べることが大好き」という人が多いのは、当たり前のことのように思われるが、実は僕は大学生に入るまで「食べること自体」がそこまで好きではなかった。
というのも、いつか記事にするが僕の中学生・高校生時代の寮生活での寮の食事が本当にまずかったことが原因と思われる。
大学生になり、初めて世の中に「こんなにおいしいものがあるんだ!」というのを知った。
それまで、確かに家族旅行で行った先で食べたものでおいしいものは食べたはずだが、それは「非日常」だから食べることができるもの、と認識していた。しかし、よくよく世の中を見渡すと、というか近くのスーパーでさえ、自分で料理をしてもおいしく食べることのできるもので溢れていることに気づいたのだ。可哀そうな僕である。
そして、食べること、というのは脳にドパミンを出す仕組みになっているからこそ動物は自らの生命を維持できるのであって、そのこのシステムがそういうシステムだからこそ、食べること自体が楽しいことに繋がっているのは自明である。
もはや、この件に関しては解説など要らないだろう。美味しいものを食べればいい。
また、ここに料理を追加してもよいだろう。
10.スポーツ
やっと最後の章までたどり着いた。
そう、スポーツというのは人間に欠かせないものだと思う。
スポーツを通して健全な心を育む、というのは確かにそのような気がする。
しかし、なんでもそうだがやりすぎは良くない。
確かに、スポーツ選手などは職業であるからそれこそやりすぎないとプロにはなれないが、一般人が適度な体つくりもせずに過度な運動をするのは体を壊す原因となる。
それでも、適度であれば、安定する精神状態を作り、健全な心を保つ、という目的を果たすに違いない。
その理由を医学的に解説すると、長くなるが簡単に言えば、
- ドパミン、セロトニン、β-エンドルフィンといったホルモンが出る
- 筋肉量の増加によって、代謝が上がり血糖コントロールもよくなる
- 身体の刺激で脳が活性化する
- 全身の血管拡張作用によって滞った血流が改善し、血圧も安定する
といったところであろうか。
実際に、運動後にすっきりしたという人が多い理由は上記が理由となっている。
今は、コロナでジムに通うことが難しい人も多いと思うが、いまならオンラインで家でもできるというようなサービスもある。
他にも自宅でできる健康グッズならAmazonでもたくさん買える。
自分の健康に投資することほど効率の良い投資はないだろう。
下に最低限あれば自宅で筋トレができるグッズのリンクを貼っておくので是非とも購入してみてはいかがだろうか。
ヨガマット
ヨガマットは2000円~3000円で購入できる一番手軽なアイテムだ。腹筋もできる。
これと、無料のエクササイズ動画である、Nike Sportsさえスマホに導入しておけば、自宅でいくらでも運動ができる。
ちなみに、このNike sportsの動画は初心者コースでもかなりきつい。笑
上のところでも紹介したが、どうしても強制力がないとダメ、という方はオンラインジムトレーナーを雇うのも手だ。
懸垂Bar
上のは、ドアの幅にスポットはめるだけで自宅で懸垂ができる最強アイテム。
他にも、スペースがあるなら専用の懸垂器具を購入するのもてだが、なかなかスペースを取りずらいという人の方が多いのではないか。そういう人にピッタリのアイテムだ。
懸垂は、最も効率よく腕の筋肉をつけることができる。買わない手はない。
まとめ
どうでしたか。僕の楽しいことを考えてみた、の記事はできあがるまで意外と時間がかかりました。
是非、ほかにもこんなことあるよ!というのをコメント欄でぜひ教えてください!