3月、毎年この時期は、別れが来る。
4月、毎年この時期は、出逢いがある。
これは、主に友達や先輩・後輩、同期が主だ。
昨年の3月の別れた後輩や先輩は、特にこれといった感情は湧かなかった。
というのも、後輩は1年後に戻ってくる予定だったし、先輩も1年しかお世話になっていなかった上に、その先輩は結婚していたため飲み会もほとんどしたことがなかったからだ。
しかし。
しかしだ。
今年の3月は違う。
僕がこの田舎へ来てから2年間という割と長い期間、ずっとお世話になり、よく飲みに連れて行ってくれ、しかもご飯代は「全部」奢ってくれた先輩がいなくなった。
医局が同じとか、出身大学が同じとか、そんなのは一切ない。
ただ、「同じ眼科で働いている」というだけなのに、とてもよく可愛がってくれた。
実際、僕が初期研修から感じていたことは、”自分の気持ちを吐き出せる場所がないと心が苦しくなる”ということだ。
それが、この先輩が可愛がってくれたおかげで、僕はこの2年間、ほとんどストレスなく過ごすことができた。
もちろん、コロナで全然外へいけないというストレスがあった時もある。Studyを進めなければならないというストレスがあった時もある。
しかし、定期的にその先輩が外へ飲みに連れて行ってくれ、仕事の愚痴やらなんやらたくさん語り合ってくれた(もちろん2人だけで行ったことがほとんどだ)から、仕事に関するストレスなどはほとんど感じることがなかった。
僕が呼ばれればすぐに飛んでいくという性格だったこともある。
僕からも誘ったこともある。
細かい性格や考え方の違いはあったにしろ、大まかなウマがあっていた。
その先輩がいてくれたおかげで、今の僕がいる。
もちろん、その先輩以外にもお世話になっている人はたくさんいる。
だけど、その先輩だけは特別だ。
この感情は2年前も感じたことがある。
大学病院で1年間働いた、最後の3月だ。
その時は、たった1年だったけれど一緒に働いた友達との別れだった。
この感情は、大学を卒業したときも感じたことがある。
6年間過ごした大学を卒業した、最後の3月だ。
その時は、6年間苦楽を共にした仲間達との別れだった。
初期研修の時の3月は感じなかった。
そうだ。
この感情を感じたときに、共通していたことがある。
それは、「その時にとても仲の良い友達、先輩・後輩がいたこと」だ。
そういう人と一生に過ごせるというのは、実は数少ない。
そういう人がいるとは限らない。
そうか、これが、バディーということか。
意識はしたことがなかったけれど、いなくなってわかる。
この田舎での、僕のバディーはその先輩だったんだ。
バディー.