自由を求める俺の人生設計
今日は、いつものような「お金目的、集客目的のこと」ではないことを書こうと思う。
まず、自由とは、いったい何なのか。これについてだ。
最終的な目的地は「自由になること」。
しかし、これを言い始めると、僕があまり好きではない情報商材屋のようになってしまうから、初めに言っておくがここでは「自由になるための方法を高額で売ったりしない」。(笑)
論理的に話を展開して、”自由について”話していきたいと思う。
項目としては、9個だ。
1.情報商材屋のいう、自由とは
よく「金銭的にも、時間的にも、精神的にも自由な生活ができて本当に快適です!自由になりたい人はこちらのメルマガに登録してみてください!」と言って、高額な情報商材を買わせる手法で自由になっている人がいる。
確かに、彼らは「自由」かもしれない。
しかし、「詐欺のような情報を高額で買わせる」という方法でお金儲けをしていて、彼らはそれをなんとも思っていない。
僕も、一度情報商材を作ろうと思ったことがある。
しかし、心のどこかで「これをこんな高額で売るなんて、詐欺みたいなもんだよな・・・」と思ってしまい、やめてしまった。
確かに、稼げるかもしれない。しかし、その「詐欺のような方法」で稼いだ、ということに心が少しでも痛めば、それが精神的な枷となり、心苦しい思いをするのではないか。と思う。
なので、情報商材を売っている人は、「全員サイコパス」と思っている。
しかし世の中、そんなもんなのかもしれない。
始めはそういう心の枷を感じていたとしても、そのうち稼げるようになって調子に乗れば、そんなことはどうでもよくなり、忘れるのだろう。
2.金銭的自由、時間的自由、精神的自由について
あんまり誤解されたくないが、確かに情報商材屋たちが言う
- 金銭的にも
- 時間的にも
- 精神的にも
これらで自由になること、というのは確かに羨ましいし、そうだと思う。
しかし、その具体的な数字は?定量的に測定できる客観的な数字はあるのか?
と言われると、そんなものはない。というか、客観的な数字で完全な自由を求めるのはかなり難しいのだ。
金銭的な自由に関しては、孫社長くらいの「3兆円の資産」でないと自由ではないかもしれないし、孫社長ならこれくらいのお金でも、「まだ俺のやりたいことを実現するには足りない!」と思っているかもしれない。
時間的に自由には、なれない。なぜなら、時間は有限で、いつか人は死ぬからだ。
そして、精神的な自由に関してだが、これは例えばお金を稼ぎまくっても、時間がたっぷりあっても、独りぼっちだったら寂しいし、学歴コンプレックスがあったら解消難しいし、尊敬されていなかったり、有名になりすぎて外を歩いているだけで知らない人に声を掛けられるのが嫌だったり、必ず精神的な問題は付きまとう。
客観的な測定できる物差しで自分を図っている限り、自由にはなれないのだ。
では、本当の自由とは何なのか?俺なりに考えてみた。
3.嫌なことはやらない自由
まず、自分が強制的にそうなったら嫌なことは何か、考えてみた。
- 超狭い部屋に住まないといけない
- 夜中にたたき起こされる
- 好きなものを食べられない
などだ。そう考えると、僕の医者という職業で一番ありうるのが、
- 夜中にたたき起こされる
だった。そして、それ以外は、金銭的な問題が解決できれば、クリアできる。
そして眼科を選んだ理由の一つにはこれがあり、実際快適な生活を送れている。
4.金銭的な問題からの自由
次に、お金があったら叶えたいことを考えてみた。
お金があったら叶えたいこと
- 大豪邸に住む
- 高級車に乗る
- 事業をやってみる
上の二つは、叶えたいがこれは、実は「結果的にそうなりたい願望」であることに気が付いた。
そして、事業をやってみる、ということだけが残る。
では、お金さえあれば事業ができるのか?それについて考えてみる。
事業をやるには
事業を始めるにあたって、必要なことは実は管轄の税務署に「開業届を出す」ということだけだ。
しかも、手数料は無料だ。
では、その事業内容はどんなものか、考えてみる。
- コンタクト関連事業
- オンライン美容クリニック
- Webメディア
- アプリ開発、Googleみたいな検索媒体
コンタクト関連事業
今、自分の持っている知識だけでできる事業は、というとコンタクト関連事業だ。
自分の専門が眼科であることも強みに、この事業はやってみたい。
その他3つについてはIT事業だが
しかし、この事業も拡大するのにはITを駆使した方法は必須であるから、最終的にはIT事業をしたい。
そのためにはどうしたら良いのか。
IT事業をするにあたって、必要なのはプログラミンの知識だ。
なので、プログラミンを始めてみるのが良いと思った。
プログラミングを学習するには
そして、プログラミングについては調べた結果、まず必須となるのが、HTMLやCSS、Java Scriptという言語らしい。
そしてアプリの開発をしたい場合は、RubyやPHP、Pythonという言語だそうだ。
では、それらの勉強をできるサイトを探してみたところ、
無料で学習できるドットインストールというサイトを見つけた。
他にも、有料になるが、Progate(月額980円)というサイトも見つけた(というか3か月だけやっていた)。
ちなみに、Progateの立ち上げに関わったN君は西大和から東大へ行ったただのイケメンだが、知り合いだ(高校の時の同級生)。すごすぎる(笑)。今は、離れているというが、おそらくもはや投資家レベルの資産を持っているのではないだろうか。彼こそ自由人だ。
結局まずはプログラミンを勉強するべきと分かった。
結論、プログラミングの勉強は必須と分かった。
しかし、オンライン美容クリニックはどうか。
実は、友達と3人ですでにこの事業は進めている。
これを事業と言っていいのかどうかは不明だが、そろそろ実際に稼働できそうなので、ものすごくワクワクしている。
実際にこれが稼働し、利益が出始めたら公開したいと思う。
お金があったらやりたいことはお金がなくてもできている
そうなのだ。
つまり、お金はある程度あればよい。
やりたいことができるからだ。
では、次に時間的な自由について考えてみたい。
5.時間的な制約からの自由
これは実はなかなか難しい。
確かに、一番最初に「人は死んでしまうから、時間的な自由にはなれない」と極論を言ったが、では、生きている間にどういう時間の過ごし方をするのが時間的な自由と言えるだろうか?
好きな時間に起きて、好きな時間に仕事をして、好きな時間に・・・
というのは、そうだろうが、人間の生理学的な資質上(というか、僕の性格上)、おそらくそんな生活をしたら、身体がぶっ壊れる。睡眠時間もめちゃくちゃになり、結果的に寿命が縮まってしまうに違いない。
なので、強制的に朝は起きなければならない生活のほうが、結果的に寿命が延びて、健康的で自由な時間を過ごせるようになるのだろうと思う。
では、他の時間はどうか?
現在の生活では、日中は眼科で医師として働いている。
働く時間が10時間くらいある。それはただ一つ「眼科を極める」ということに繋がっているだけだ。
一つのライフワークとして良いことであるし、医者としての腕を磨くという点においては必要なことではある。
しかし、「自分の人生はそれだけで良いのか?」という疑問が頭から離れられない。
この生活には目標がないのだ。
いや、短期的にはある。例えば、専門医の取得だ。
もしくは、手術が上手になることであったりはする。
だが自分の頭の中から、もっと大きなことをしたい、という欲求が離れない。
というか、端的に言えば、
おっと、「これでは、さっきのお金がなくてもやりたいことができると矛盾しているじゃないか」と思われる読者もたくさんいるだろうが、まぁまぁ落ち着いて最後まで読んでください。
目標はヒトを鼓舞させる
大学受験までの目標は「もっと高得点を取って、高い偏差値の大学へ行きたい」
大学へ入ってからの目標は「スキーで0.1秒でも早くゴールを切りたい」
研修医の時の目標(といっていいのか分からないが)「東京で合コンしまくって、遊びまくりたい」
だった。しかし、これらは「目標だ!」と自分に言い聞かせていたわけではない。
あとから振り返って、「あぁそういえば、俺は結局そこへ向かっていたんだな」と分かった目標である。
そして、実際にそれらは、なんとなくの形で叶えてきた。
つまり、目標があればそれらを細かく分断し、ちいさな努力を積み重ねるだけで叶えることができる、という成功体験をしてきたわけだ。自分でも、知らず知らずのうちに、目標を叶えるためにはそういった地道なことをしていたわけである。
そして、「今の自分」にとって、目標は何か、と問いかけた結果出てきたのが、”もっと稼ぎたい” というシンプルな答えだったのである。
別に、その理由なんてない。
ゲームのスコアが伸びていくのを見ると楽しいように、今の自分で伸ばせるスコアは何か、と問いかけたところ、「お金をもっと稼ぎたい!」ということだったのだ。
これは一番根底にある欲求だが、他にも実は
手術で、もっと上手になって時間を短くして綺麗に仕上げたい
とか、
外来を診るスピードを上げたい
とかは、もちろんある。
そして、その目的を叶えるためにはどうしたら良いのか、ということを考えて、実際にやってみてはいるし、その過程が楽しいのだ。
目標はヒトを鼓舞させる、というのはそういうことだと思っている。
そして、時間的制約からの自由という目標を分断していった結果、あ、これは100億ないと難しいぞ、と小さな目標になり、その結果の目標が「もっと稼ぎたい」になったのだ。
それを次の項目で解説したい。
もっと稼ぎたいというのが時間的制約からの自由につながる理由
もっと稼ぎたい、というのが時間的制約からの自由につながる理由はなんだろうか。
今、働いている人が働いている理由は何か?そう、お金のためである。
いやいや、それだけじゃないだろう、と言っているひとは、じゃぁ100億円あったら今の仕事を続けるだろうか?と自分に問いかけてみてほしい。
おそらく、大半の人が、「もっと別なことをする」と言うだろう。
「100億円あったら別なことをする」ということは、今働いている理由はお金のため以外の理由はない。
100億円あっても今の仕事をしたい、という人がいたら羨ましい。今やっていることが人生のやりがいなのだから。
つまり、お金が100億円あれば、働く時間から解放されるのだ。
これが、時間的制約から解放されるために、もっと稼ぎたいというのにつながる理由だ。
そうなのだ。僕の言う、「もっと稼ぎたい」のレベルは、5000万、1億というレベルではなく、「100億円稼ぎたい」というレベルだ。
では、100億以上持っている人が働いていないか、というとそうではない。
彼らは「自分の楽しいと思うこと」をやっている。
孫社長も、前澤社長も、ホリエモンも、みんな「楽しそうなこと」を追求している。
自分の信念となる根本的な目標に向かって頑張っているのである。
つまり、「働いているという感覚ではなく、楽しんでいる」のである。
では、100億円稼ぐためにはどうしたら良いのか、という疑問になるのだが、それは「会社、しかもスケール(拡大)できる大きな会社の経営者になる」しか方法はない。
医者という労働者である限り無理なのだ。
ちなみに、医師免許をフル活用して100億円、いや、1000億円レベルに行った人は何人かいる。
例えば、徳洲会病院の徳田虎雄先生や、株式会社メドレーの代表取締役員だった豊田さんや、湘南美容外科クリニックを立ち上げた相川先生とかだ。
全員、「労働者」ではなく「経営者」だ。
そして、百億レベルに到達するためには、まず経営者にならねばならないのだ。
経営者になって、もっと稼ぎたい、100億稼いだら、次の後継者に任せる!というの今のところの僕の欲求だ。
もちろん、その規模になったら、新しい目標が出てきてバリバリ働いているかもしれないが。(笑)
しかし、今現在の生活の延長線上にはこのヴィジョンが見えない。
なので、確かに眼科医として働き一般的な勤務医、もしくは開業医としてやっていのは全然悪くないし、とても素晴らしいことだが、僕は何か別のこと ”も” していきたい。
眼科医、以外の軸も持っておきたいのだ。
そして、「金銭的な自由」の項目にこの”もっと稼ぎたい”という項目を挙げなかった理由としては、「時間的な制約」の方が「金銭的な制約」よりも強固だからだ。
金銭的な制約に関しては、実はやりたいことをやるのにそこまでのお金は必要ない。
しかし、今の主とする仕事に10時間毎日費やしている限り、自分のやりたいことができても、体力的な問題や、人生を楽しむために使う時間で、事業をするということがかなりむずかしいのである。
つまり、最も必要とすることが「時間的な自由」であるから、その時間的自由を実現するためには100億円稼ぐ必要がでてきた、ということだ。
5億円~10億円くらいなら、大差はない。それくらいの小銭なら、医者でも戦略を練れば稼げる。
そんなスケールではなく、年商10兆円目指して、年収100億円くらい目指さないと、新しい発想は出てこない。
6.For humanity.
これは、単に「働きたくない」ということではない。
自分のやりたいことが、患者さんを診ること以外にもっとある!というのが根幹の心理だろうか?
あほか!と言われれば、そうなのだろう。
しかし、僕がそう感じているのだから仕方ない。
人は誰しも自分の存在意義を問う時があるだろう。
外来をやっているときに、ふと思うのだ。
「あれ?これって焼きそばパン工場でパンに焼きそば詰める作業とあんま変わんなくね?」って。
別にこの仕事は自分でなくてもいい。
そう考えると、自分にはもっと他のやるべきことがあるのではないのか?と思ってしまうのである。
ただ100億稼ぎたいのではない。
じゃぁ、それは何か、と聞かれると具体的には
・オンライン電子カルテを作りたい
・大学病院の後期研修医がしなければならない雑用がなくなるようなシステムを構築したい
・世の中の人達が、「あぁ、これ凄い良いね!」と言ってくれるサービスを提供したい
というような、漠然としたものだがこれらを「いきなりやり始める」ということはコストパフォーマンスが悪すぎる。
なので、まずは100億円を稼いで、それを元に、これらを整備したい。
もっと奥底の欲求を掘り下げると、そういうことに気付いた。
不満はその時にしか感じないから変わらない組織の体制
働いて自分が感じた、医療分野における、DXの遅さ。
電子カルテがオンラインで見れない、ということ自体かなり遅れている、とさえ思う。
病院ごとにカルテが共通でなくて、紹介状は紙で送るなんて、これだけインターネットが発達しているのになんでだ!?と思う。
メールのような媒体すらない。
そして、大学病院では働く下級医師(後期研修医)の過酷な状況。
せっかく医師免許を取得して、初期研修も終わり、「よし!医者として活躍できるぞ!」と意気込んでいたのにもかかわらず、なぜ「機械の準備で朝4時半に来て、誰もいない手術室で真っ暗闇の中、コンセントを刺す」という作業をしなければならないのか。なぜ、夜中に来た緊急患者の検体採取の同意取得のために、真夜中に遠い場所にある外来へわざわざ「紙」の同意書(しかもコピーにコピーを重ねて汚い印刷になっているやつ)を取りに行き、全部丁寧に説明して同意を貰ったのにも関わらず、「この同意書は私しかとったらダメなの!」と激怒されるというわけのわからない状況になるのか。
上記2つは、単に医療分野に介入するには政府が絡んでくる、大学という大きな組織を変えるには上の立場にならなければならない。という問題があるからだ。
個人でいきなり変えに行くには、相手が大きすぎる。
しかも、こういった不具合は「その時」以外には感じないから、めんどくさい、と思ってしまっても後には忘れてしまうのだ。
だから皆変えようとしない。大学病院の下級戦士たちがこのような雑用を任されても、黙ってやっているのは「医局という組織に入っているから」ということと「上級医になったらやらなくて済むので、上級医はそういう雑用のわずらわしさを感じていない」ということがあげられる。この期間だけ耐えれば、いいのだ、と思っているし実際そうだからだ。
何十年もその体制でやっていて、誰も変えようとしていないということには理由があるのだ。
だから、僕が100億稼いで、これらを変える力が備わったら、苦しむ後輩たちが無駄な雑用から解放されるように変えていきたい。
覚えていればだが。
世の中を便利にするもの
世の中の人がたくさん喜んでくれるようなサービスや機器と言えば、洗濯機・冷蔵庫・掃除機、GooleのMailや電話、Amazonや最近ではZoomなどがある。
生活が便利になる、というコンセプトを元に、もっと快適な生活を送れるようなシステムや機械が登場すれば、人類はますます発展するに違いない。
最終的に「誰も働かなくても生活できる状態」を作り出せば、人類の勝ちだ、と言っても過言ではないと思う。
働く、という概念を根本的に覆すのだ。
そういう、サービスを展開したい。便利にしていけばしていくほど、人類は進化する。はずだ。
人類の進化のためには、便利なものの発明は必須である。
しかし、その発明というものは、実は「必要性から出てきた」ということがよく言われている。
日本からすごいベンチャー企業があまり出てこない理由は、「出てくる必要がないから」だ。
アメリカや、インドなどは違う。
アメリカの場合は、「多種多様な人種」が入り混じる中、米国は世界の一番でなければならない、という考えが国内での競争をも生んでいる。
外からやってきた移民たちに負けるものか、という競争社会なのだ。
インドもそうだ。
インドでは、厳格なカースト制がいまだに存在する。
そのカースト制を唯一壊せる職業、それがエンジニアだ。
だから、あれだけIT産業が発達したのだ。”必要があったから”なのである。
なので、便利なものを提供するためにはそういった必要性、というものを僕自身が感じる必要もあるかもしれない。
7.精神的な制約からの自由
これは結構難しい問題だと思う。
精神とはただの脳内物質のバランスに過ぎない
人の精神というものは、あるようで、ないと僕は思っている。
精神というものは、人が感じていることを具体的な言葉で定義しているだけであって、脳内の物質の移動やバランスだけでも簡単に変わるからだ。
つまりどういうことかというと、精神というのは自分の脳内の物質のバランスだ、ということだ。
その物質のバランスに関しては、「こういう考え方をすればよい」という考え方で変わる。
鬱病になりやすい人に関しても、遺伝的要素が関係するように、「脳の考え方のくせ」みたいなものが最終的に脳の物質のバランスを崩し、鬱病を発症するのではないかと思っている。
医学的な論文にしても、脳内物質についての研究は少ない。
というのも、生きているヒトの脳内の活動を見る方法が最近までなかったからだ。
安定させるには健康的な生活を送るだけ
つまり、精神的な安定を求めるのであれば、
・規則的な生活をし
・適度なストレスをかけ
・目標に向かって生きている
という状態を作り出すしかない。
人間関係が一番精神に影響する
たとえ、お金がたくさんあり、自由な時間が無限にあっても、「友達や家族」などの人間関係がなかったら、人はうつ病になるだろう。
考えたら当たり前だ。人は、人と関わらずには生きていけないのだから。
自分の人生で楽しかった時を思い出したらいい。
”必ず周りに誰かがいる” だろう。
仕事の合間の雑談でさえ、僕は楽しいと思っている。
というか、その雑談がなければ、今の仕事なんてやっていけない。
だから、開業して一人で患者とだけ話すなんてめちゃくちゃしんどそうなので嫌だ。
僕は、皆でわいわい何かをしていくのが好きなのだ。
一人で黙々と何かをやり続ける、というのは受験勉強の浪人くらいでいい。
このブログだって、今、個室に入って黙々と書いているが、しんどい(笑)
誰とも話さず、黙々とするのは結構しんどいのだ。
もちろん、一人の時間が嫌いなわけではない。
こうやって、自分の内面と対話している時間も好きだ。
本を読んでいる時間や、ゲームをやっている時間も好きだ。
しかし、だからと言ってずっと一人は嫌だ。(笑)
皆そうなんじゃないか、とも思う。
8.具体的な今後の人生設計
「1年間、フリーター(バイト医)やってみたい」
これは、僕が今思っていることだ。
しかし、これにはまた精神的な問題が付きまとう。
「こんなちょろいバイトばっかりで、俺の人生の成長が全くない」「大丈夫か俺」というのが頭から離れないと思う。
確かに、医者であれば例えば、脱毛バイトやAGAバイト、寝当直バイトなど「科目不問」のゆるゆるバイトで1日8万~12万を稼ぐことができるので、フリーターのバイト医になれば年収が高くなる。
勤務医で働くより、バイト医の方が年収が高いのだ。(バイト医なら年収2500万は稼げる)
しかも、お金は貯まるだろう。(遊んだり、高額なものを買わなければ)
なので、これをやるときは、僕が「事業をやるための資金を貯める」時だ。
おそらく、専門医を取った後になるだろう。専門医を取ったあとは、「大学院へ行く」か「事業を始めるための資金を貯める」の2択になる。
大学院へ行く場合、年収はおそらく1000万程度になる。しかも、研究をしなればならない。
しかし、見方を変えれば、これほど人類に貢献できる”研究”ができるチャンスはない。
そうはいっても、その研究が人類の発展に直接貢献するわけではないし、進歩に関連したとしても、0.0000000000000000000000000000000000000000000000000001歩くらいだ。
大学院へ行かなかった場合、「学歴コンプレックス」というものを僕自身が感じる可能性がある。
「博士号?そんなものは、足の裏の米粒だ、とっても何も変わらない」というのは事実だが、僕は言うても「学歴好き」なので、取っておきたい。
それ以外にも、「論理的思考を身につける」というものがある。
これは、おそらく強制的にこういう環境に身を置かなければ身に着けるのは難しい。
いわゆる「研究者的視点を身に着ける」ということだ。
しかも、大学院へ行かずにバイト医をして、事業が失敗した場合、僕に残るものは何もない。これではしんどい。
なので、「石橋をたたく僕の人生設計」では、博士号を取りながら、事業を展開していく、というヴィジョンだ。
できる保険は、できるだけ作っておきたい。
なので、考えた結果「大学院で博士号を取りつつ事業を展開しつつ、失敗したら、バイト医でもう一回資金を貯める」という方法だ。
それでもと思う今の時代
それでも、早くやっちゃった方がいいのではないか。
とも思う。
堀江モンも、孫社長も、学歴なんて必要ないといって起業している。
さらに、学歴固めても、何も人生変わらないのであれば早く自分のやりたいことを始めちゃった方がいいのではないか、とも凄く思う。
やっちゃえ、俺!と思って行動しようとしたこともある。
しかし、自分の心のどこかで「こっちの方が安全なのではないか、いきなり飛び込むのは危険なのではないか」という「危険信号」のような「警告」のようなものが出るのだ。
第6感と言ってもいい。
その感覚は、大切にしたいが、もしかしたら必要のないことかもしれない。
だが、第6感のそれだけではない。
僕の周りの人が助けてくれるのだ。
初期研修の時、自分の進路に迷っている時に今のところに決めた理由は、上の先生の存在だし、
今の職場にいるのも、上司の存在とその言葉の力だ。
こういう自分を助けてくれる人達が出てくるのは、神様からの導き(って宗教ではないが)なので、絶対に大切にした方が良いと ”僕の心” が言っている。
なので、「なるようになる」的なところも大切にしているのが、僕の人生の生き方だ。
もしかしたら、それでは「突破」できないかもしれない。
しかし、俺が俺が、と突き進んで、周りに誰もいない人生よりかは、僕はこっちの人生を選ぶ。
一番良いのは、自分の好きなように突き進んで、さらに周りに人もいる人生だが。
9.結局俺の思う自由とは
結論に持って行こう。
結論、
これは、なかなかだ。(笑)
自分でこの文章を書きながら、この結論に達するとは思っていなかった。
自分の内面と対話すると、思いもよらなかった自分の潜在的欲求が出てきて面白い。
自分は一番自分が分かっていないというのは、その通りだと思う。
他人から見た自分が自分の思っている自分ではないように、自分にとっての自分も、実は自分が思っているような自分ではないのかもしれない。
「自己実現」とか「好きなことをやって生きていく」とかよく言われているが、本当に自分の根底の根底まで自分と対話して、その自分の欲求を見つけているヒトなんているのだろうか?
おそらく、「自分は○○が好きだ」とか「自分は××を目標にしている」と、口に出して唱えているうちに、本当に自分が「そう思っているように錯覚している」だけなのではないか、とも思う。
だから、あえてこういう「Bigな目標」を自分の中で口にしていれば、実際にそれが目標となり、人生を捧げるのに価値あるものに変化していくのではないのだろうか。
いつかBigになってやる、と口だけで言っている奴は、口だけの奴もいるが、その目標がない人よりかは可能性がある、と僕は思っている。
「言葉の力は凄い」のだ。
僕だって、「医者になるんだ!」ってただ言っていただけで医者になれた。
医者になるんだ!って思ってない人が、医者になることはない。なぜなら医学部を受験しないからだ。
一部、東大理三だけは、「ただ一番を目指していた」という人が入学するが、そういう人達は、入ってから「なんか違うな」となったら別なことをしている。
そもそも、「目標なんて後からできたものかもしれないが、目標を立てなければ、進むべき道もない」ということだ。
目標はヒトを鼓舞する、と先ほど書いたが、本当にその通りで、目標がなければ人はふやけてしまうのではないか。
僕は今現在実は、ふやけているかもしれない。
でも、大きな目標に向かって突き進む人生を歩んでいる途中でもある。
全力疾走ではないが、着実に、一歩一歩、保険を掛けながら、大きな夢に向かって。