今までいろんなことについて考えてきたし、それを書き散らしてきた。
「お金と仕事について」
- 仕事=誰もやりたくないこと → お金をもらってする
- 単価を上げるためには、少数の人しかできないこと、利益が多いことをするしかない
- 稼ぐには経営者になるしかない、会社をEXITするか、投資家になるか
「モチベーションについて」
- 繰り返しの作業 → 成果報酬型の方が成績が上がる
- クリエイティブなこと → 成果報酬型にするとパフォーマンスが下がる、無報酬の方が成績が良い
「ある物事ができるようになるには」
- 何かにおいて成果を出すためには、まず時間をかけないといけない
- できるようになるまで、しんどいポイントがある
- ほとんどの人はしんどいところでやめてしまう
昨日に出した結論では、SNSでバズる方法を見つけることが最強ということだった。
とにかくSNSで有名になれば、商品を自分の会社で作った時に広告費をかけずに宣伝ができるし、知名度があれば案件を獲得して自分にしかできない仕事をすることができるから単価も上がるし最強。
だからSNSで有名になることを頑張ろうという結論だ。
しかし、世の中そんなに簡単ではない。
どのジャンルで有名になるかにもよる。医師として有名になるのか、Youtberとして有名になるのか、TIkTokerとして有名になるのか、画家として有名になるのか、など無限の選択肢がある。
そして、そのジャンルで有名な人達の残してきたSNSの軌跡を見て、毎回こう思うのだ・・・
無理・・・じゃね?
と。
そう、毎回「よっしゃ!そうか、こうすればいいんだ!よーし、まずはリサーチだ!」と調べていくうちに、「え、凄すぎ・・・」となって、無理じゃね?となってしまうのだ。
当たり前だが、小学生がプロ野球選手になりたい!と思って、実際のプロ野球の試合を観て、「・・・あんなプレー、無理じゃね?」と思うのとほとんど一緒だ。
DJ社長とかが「誰も赤ちゃんをみて、どうしよううちの子供は歩けないし、しゃべれない!何もできないどうしよう!?って思う人はおらんやん?本人もそんなことは思ってないし、いつの間にか歩いてるし、喋れてるし、努力だとは思ってなくて、勝手に頑張ってるやん?それなのに、皆大人になるにつれて、あれは無理だ、これは無理だ、って自分で可能性を制限してるんよね」ってどこかで聞いたことのあるようなセリフを言っていて、まさにこういう自己啓発的な動画を観て「そ、、そうだよな、できるできる、俺にもできる!」と思うのだが、一回絶望するのだ。
そんな必要なんか実は全くなくて、おそらくやってりゃあ何となくできるようになると思う。
そりゃあ確かに最初の10回くらいは目も当てられないくらいひどいできだろうけど。
それでも、よく言われているように「大人になるにつれ、だんだん自分で可能性を最初から狭めてしまう」というのは本当だ、と最近実感するようになった。
その理由を考えてみると、
- 過去の経験に当てはめて、これくらいできるようになるためにはどれくらいの努力や時間が必要か、ざっくり計算できるようになっているから、やる気がなくなる
- 凄い人を先にみてしまう
- がむしゃらをしなくなる
- 効率を求めてしまう
など、たくさんの理由が挙げられるし、元来人は「できない理由を探す」という性格であるから、自分ができなさそうなことがあると「それをできない理由はこれこれだ」と無理やりにでも、「できない理由をこじつけてしまう」のである。
そして、それを分かっていても、これだけわかっていても、実際そうなってしまうのが逆に面白い。
「そうだよね、本当は可能性を狭めずにがむしゃらにやればできるかもしれないのにね」と分かっているのに、それでもなお「できない理由を探してしまう」のだ。
これは、「目の錯覚だ」と分かっていても、「錯覚を錯覚と認識している部分」と「そう感じている部分」が違うから、どうしても錯覚に騙されてしまう、という原理に似ている気がする。
人は、「理解すること」と「実際に体感すること」が分離しているからいくら頭では分かっていても感情や直感では理解できないことがあるのだ。言葉で説明しようとすると難しいが、何となく皆もわかってくれるだろうか?
頭では分かっているのに、そうできない。
これが人間である。
だから、面白い。