認識していないものは見えない
よく、他人は自分の鏡だという。
類は友を呼ぶ、という。
人は、自分の頭の何ない知識や感覚に関しては認識できない。
認識できないということは、見えない、ということである。
前にも同じようなことを書いた気がするが、同じような劇を見たとしても、振り付け専門の人が見るのと、脚本家が見るのと、ただのお客さんとして見るのでは全く見えるものが違うように、同じものを見ても見えるものが違うのである。その理由は、認識の違いだ。
そして、これを拡大解釈すると、他人をどう見るのか、ということは自分の中に内在する性格しか他人の中に見ることができない、ということになる。
つまり、人の優しさがわかるのは、自分の中に優しさがあるからだ。