母の話を話す前に、母の母、つまり僕の祖母について話そうと思う。
※この話はフィクションであり、実在の人物、名称が出てきますが関係ありません。
祖母は、かなり裕福な家庭だった。
というのも、1900年代の初期に海外との貿易をする会社を創業した福島丹一の娘だったからだ。
福島丹一は、戦国武将、福島正則の直系の子孫だった。
福島丹一は、その当時に英国へ留学もしており語学堪能であった。
精悍な顔つきに、切れる頭脳、得意な英語を活かして一人で建てた貿易の会社は、圧倒的に爆発的成長を見せ、大成功していた。
家には何十人という女中さんや、乳母がおり、銀座まで自分の家の土地で歩けるほどの土地をその当時の東京で持っていた。(銀座が発展したのは戦後からだが。)当時は生活保護などの社会的な制度も整っておらず、妾というのも認められているような世の中であったので、たくさんの妾もいたという。
玄関の門から、家の中まで歩く距離は数百メートルはあり、途中で橋を渡る必要もあった。
とにかく、圧倒的社会の成功者であった。それくらい裕福な家庭で祖母は育ったのだ。
祖母が5歳の頃、家の庭にある池に泳いでいる鯉に餌をやろうとして、溺れてしまいそうになったことがあった。
その時の恐怖で、水に対するトラウマができてしまったのだが、そのトラウマを改善すべく、その当時東京で有名だった心理カウンセラーの施術を受けたらしい。
しかし、その施術の内容が現代の医学であれば全く根拠のない、インチキカウンセラーだった。
今なら虐待ともとれる、水を顔面にかけるという素人が考えても、それは逆効果だろうというような内容で、嫌がって逃げようと暴れると顔をひっぱたかれ、幼少期の祖母にとってはその人が怖かったことの方がトラウマになってしまった。まぁ、そのおかげで逆に水に対するトラウマがそれで消えたというなんともしこりの残る結果となった。
そのインチキカウンセラー、加藤というのが、後にインチキのやりすぎで逮捕されたと分かった時の福島家の衝撃は凄かったらしい。
というのも、そのインチキと繋がっていた女中が、インチキに払った総額1000万(その当時のレートを現在の価格に換算)の内、500万受け取っていたということが警察の逮捕後に発覚し、速攻クビになったのだ。
内部にもあくどいやつがいるというのを、この幼少期の頃の体験で祖母は実感したという。
さて、時は過ぎ、第二次世界大戦が始まってしまった。
祖母の父、福島丹一の仕事は貿易である。
丹一は、海外の力を知っている。国力を知っている。
戦争が始まってすぐに、丹一は女中や乳母・妾(妾も呼んじゃうというのが凄いが)を含め全家族を一番広い和室に集め、こう言った。
「日本は負ける。」
その当時、銀座の三越にとても大きな時計台があった。
よくドラマとかにも出てくる、和光の時計台だ。(今もあるか)
その時計台がアメリカだとすれば、日本はこの俺がしている腕時計くらい小さい、だから負けると。
その当時6歳か7歳くらいだった祖母は80歳になっても、この時の情景を覚えていた。(だから今僕がここにその話を書いている)
そして、丹一は、貿易をしているということからスパイと疑われ捕まってしまう。
もちろんスパイなんかではない。しかし、外国との交渉をしているというだけでその当時は疑われたのだ。
その後の東京大空襲。
東京の豪邸も、会社も、全て燃えてしまった。
丹一も戦争で亡くなってしまった。
防空壕に逃げた祖母の兄は爆発で脳をやられ、その後は施設で人生を終えた。
祖母はただ一人、残された。
その後の祖母の人生を僕はよく知らない。
よく知らないが、いつの間にか祖父と結婚し、2人の子を産む。
その下の子が、僕の母だ。
いつの間にか、祖母は作家を育てる、シナリオセンターで講師をしていた。
どういう経緯でそこで働くようになったのかは分からないが、講師をしていた。
そのシナリオセンターでの教え子の一人が、後の超有名作家、あのリングを書いた鈴木光司氏である。
祖母の性格を話そう。
とにかくプライドが高い人だった。
おそらく、その幼少期の記憶が彼女のプライドを作っていたのだろう。
「私は、福島丹一の娘だ」と。
しかし、幼い頃に全てを失ってしまった。
全てを失ったところから、どんな人生を送ってきたのかは分からないが、それでも心の奥底に「這い上がってやる」という根性があったのは間違いない。
実際に這い上がれたかどうかは分からないが、常に堂々と、プライドのある格好を保っていたのだけはわかる、そんな生き方をしてきたのだろうという顔つきをしていた。
しかし、それが逆に家族に迷惑をかけてしまうこともあった。
家族、というか親戚だ。
つまり、僕の父である。