この記録は僕の”Bさんの内の一人としての記録”だ
ほとんどの人が目をそらしがちな「死」
しかし、100%人間は死ぬ。それは誰もが認識していることだ。
それなのに、みな、自分はまだ大丈夫、と思っている。僕だってそうだ。
しかし、死は突然やってくるときもある。
『”もし今自分が死んでしまったら” と考えると、全然やりたいこともできてないし、後悔しかない。』
という人もたくさんいると思う。
それは、皆が「大体これくらいには死ぬだろう」という「予測のもと」生きているからだ。
だから、突然やってくる死に対しては、誰もが「嫌だ」「死にたくない」「やり切れていない」と思うに違いない。
それでも、やってくることがある。
突然の死の宣告。
世界は残酷だ。
残酷だけど、その中に生きる意味を見つけるしかない。
生きる意味について考え、僕が出した結論は「自分以外の誰かに影響を与えること」だと思っている。
たとえ話で言えば、
ある人物Aさんが生きる意味はもちろんAさんの中にあるとは思うけれど、それ以上に、そのAさんが生きていたことで他の人物Bさんの人生に何かしらの”影響を与えること”がAさんの生きる意味でもある気がするのだ。
今回僕がネットでたまたま観たAさんはイノマ―さんで、Bさんはおそらく何千人、いや何万人もいると思う。
そして、そのBさんの内の一人が僕だ。
この記録は僕の”Bさんの内の一人としての記録”だ。
家、ついて行ってイイですか?
動画の始まりは、テレビ番組「家、ついて行ってイイですか?」のワンシーンから始まる。
たまたま通りかかった4,5人に声をかけるスタッフ。
「今日は何の集まりですか?」
「お葬式の帰りです。」
「え、お葬式?」
「はい。私の内縁の夫で53歳でした。」
この内縁の妻ヒロさんのお家についていくと、亡くなられたその夫はイノマーさんであることが判明。
そして、イノマーさんが癌を発見してから、死ぬまでの壮絶なドキュメンタリーを上出遼平氏が撮影していたことがわかり、その密着取材の動画が始まる。
忘れられない2つのシーン
動画の始まりは、イノマーさんが舌を切除して、何人かでBarのようなところに集まっているところから始まる。
死ぬ前に、ライブがしたい、と言うイノマー。
癌になりながらも、おちゃめに冗談などを言って周りの人に笑いを誘うような陽気な方だ。
そして始まる、抗がん剤の影響で弱りながらも、手術を乗り越え、さらに癌の再発が発覚し、それでも必死に生きるイノマーさんの壮絶な映像。
全ての動画を観終わって、僕の記憶に残って離れないシーンが2つあった。
それは、最期のライブを死にかけの状態で終え、息をするのも辛い中でのバスでのワンシーンと、意識不明の重体で入院しているところに銀杏BOYSの峯田和伸さんがお見舞いにくるシーンだ。
バスでのワンシーンから峯田和伸さんのお見舞い、そして動画の最後に・・・
本当に、命を削って行ったであろうライブの直後、イノマーさんは映像でも死にそうな感じだった。
バスに乗り込み、苦しく呼吸をしながらも寝ているのか失神しているのかわからないくらいの状態だった。
その時、カメラマンの上出さんが聞く。
「こんな時に聞くのもなんですけど・・・ぶっちゃけ、人生どうでしたか?」
ドキュメンタリー動画だが、あえてこのシーンの答えは流れることなく、時系順にどんどん映像が進んでいく。
そして、ライブの1か月後に意識不明の重体で入院するイノマー。
僕は正直、ここで死ぬな、と思った。
しかし、奇跡が起こる。
銀杏BOYSの峯田和伸さんがお見舞いに来て、声をかけると、なんと身体ごと抱きつくようなしぐさをして意識が戻るのだ。
本当に、このシーンで僕は身体が震えた。
峯田和伸はイノマーさんにとっての、長年の盟友であったという。
その盟友の”声”を聞いて、意識が戻ったのだ。
人は、死ぬ間際になっても、最後まで聴覚だけが残っているというが、このシーンはまさにそのことを示唆する映像で、人の生きるエネルギーを目の当たりにして僕は涙が止まらなくなった。
まさに奇跡のシーンだ。
しかも、この後退院するのだ。
それでも、やはりこの後、重体になり今度こそこの世を去ってしまうイノマー。
亡くなった時間は、友達の江頭さんの芸名にもある、2時50分だ。
「最期まで笑わせてくれたね」
と泣きながらイノマーさんを囲むヒロさんたち。
その後、お葬式と、さらに、亡くなってから1年後のヒロさんの映像が流れる。
全ての動画が、終わり・・・最後に、あのシーンに戻る。
ーーーーー
ライブを終えた、バスの中、呼吸をするのも苦しそうなイノマーさんに上出さんが聞く。
「こんな時に聞くのもなんですけど・・・ぶっちゃけ、人生どうでしたか?」
『・・・・・・楽しすぎるのも、良くないな。楽しすぎたよ・・・・ほんとうに・・・・』
そして、映像が終わる。
53年という人生を、最期の最期まで命を削って生き切ったイノマーさんはたくさんの人に様々な影響を与えていると思う。
そのうちの一人として、この文をここに記す。