僕の大学受験について
僕は1年間、「大学受験のための浪人」をしている。
今思えば、現役の時にもう”ちょっとだけ”勉強すればよかったのだが、そのもうちょっとすら僕にはできなかった。
僕の大学受験の話は長くなるので、簡単にまとめていきたいが、どうしても長くなってしまうことはご了承いただきたい。
神童だった小学校時代
まず、僕は小学校の時から頭が良かった。
というのも、たいして勉強なんかしていないのに、学校の授業は教科書を読むだけで100点を取れるし、なぜか学校の通信簿もオール5ばかりだったのだ。もちろん小学校では神童扱い。おまけにかけっこも速かった。
”たいして勉強していないのに、できてしまう”
というのは、つまり、たいして努力しないでもそこそこの結果が出てしまう、ということであり、結果を出すことに関して努力が必要ないと勘違いしてしまうこととなる。
しかし、それも小学校3年生までで終わりを告げることとなる。
そう。塾に通い始めるのだ。
小学校4年生から僕は強制的に「日能研」という中学受験の塾に通うことになる。
つまりどういうことか。
地元の小学校では僕が無双していた「お勉強」
その「お勉強」が得意な猛者たちの集まるこの日能研では、各小学校の「神童達」が集まり、強制的に「勉強の成績」で席順も変わるという残酷なシステムに放り込まれることとなる。
僕は結局小学校4年生から6年生までの間で、1位になれたのは1回か2回だ。
それ以外は大体3位~8位をさまよっていた記憶がある。(記憶があいまいなので正確ではないが)
つまり、地元では圧倒的なTOPだった僕も、塾に通えばそこそこできるやつ、に降格したのだ。
そして迎える中学受験。
僕は、開成を第一志望にした。
そして、他に西大和学園、西武文理、渋幕、海城(2月3日の方)を受け、開成と海城を落ちてしまった。
西武文理と渋幕は受かったが、場所が遠く通えなかった。
なので、実質西大和学園しか選択肢がなかったように思う。
西大和学園は僕の年は東京会場の受験が2年目だった。
僕が受験している間に、親御さんたちに向けての学校説明会のようなものがあった(と親父から聞いている)。
そして、そこでの校長先生らの「情熱のある話」に僕の親父が偉く興奮していたのを覚えている。
親父は「ここは学校行事とか修学旅行とかいろいろやっていて面白そうだぞ」と、かなりの好印象だったようだ。
特に、「先生方の情熱が伝わってきた」というのが良かったらしい。
実際、西大和学園はその昔、スポーツの強豪校にしようという計画だったらしく、スポーツで有名な先生もたくさんいたし、若い先生が多く活気があったように思う。
結局、僕の通っていた校舎からは(覚えている範囲では)
筑波大学附属駒場1人、桐朋1人、駒場桐朋1人、西大和学園1人(僕)、早稲田実業1人 という結果であった。
ちなみに、この5人の大学受験の結果は上に書いた順で
北海道大学医学部医学科、慶応大学医学部医学科、東京大学理科1類、東北大学医学部医学科(僕)、早稲田大学
というかなり偏差値の高い大学にそのまま合格するという結果であった。
桐朋→慶応大学医学部医学科に合格した友達とは僕の浪人時代(駿台市ヶ谷校)に再会し、さらに慶応大学医学部医学科の1次試験合格後の、2次試験の論文・面接の際に隣の席になり、「まじかよwここで!?www」と笑いあった。
おっと、話が飛んでしまったが、次は中学時代の話に入ろう。
中学時代・高校時代
中学校、高校は西大和学園というところへ通った。
僕は奈良県出身ではなかったから、寮生活だ。
ぶっちゃけ寮生活はどうだったかというと、普通に楽しかった、という記憶だ。
実際に一つ一つ思い出を思い返してここに記録してもよいが、生々しすぎるのと、公開記事なので個人が特定されかねないのでやめておく。
ちなみに僕が中学1年生で入学した時の寮生の人数は9人。
出身地別では
東京2人、名古屋4人、神戸2人、京都1人だ。
結局、そのうち4人は途中で寮生活をやめた。(いきなり個人情報かよ!と思われるかもしれないが、これだけで特定できるとしたら、その人は西大和関係者なので何かの価値はない)
高校3年生まで純粋に寮生活を送った5人の大学進学実績は
東京大学(文一)、京都大学、名古屋大学、大阪大学(歯)、そして東北大学(医)だ。
よく考えたら凄い。でも、今気づいたが、小学校時代の友達の方が実はもっと凄い。
今思えば(というか周りのやつらも僕のことをそう思っているだろうが)、寮生に限らず西大和の同級生は、
「え、あいつも東大?あいつも医学部?」というような状態だった。
大学進学後も、特に高校から入ってきた寮生(15人くらい入ってきた)のうち、東京に来ていた同級生とは交流が今でも続いているし、一緒に旅行なども行ったりした。
中学時代、高校時代の仲間というのは後から「あぁ、ここの高校でよかったな」と思うものだ。と実感している。
だからこそ、中学や高校で進学校へ行く意味があったのだ、とも思う。
西大和学園でさえそうなのだから、他のTOP進学校の人たちはもっとそういうのを実感しているのではなかろうか。
浪人時代
浪人は駿台の市ヶ谷校というところへ通った。
ここで、小学校時代の同級生と再会し、びっくりした。
ちなみに、僕の市ヶ谷での最高順位は4位だ。1000人くらいいる中で、4位。流石に「やばww理三受かるやんww」とは思わなかったが自信になった。しかし、その中で小学校の同級生は1位だった。まさかの。
彼は東大理三を受けたが落ちてしまい、慶應医学部へ行くこととなった。
僕は、私立は慶應医学部だけ。ちなみに、補欠だ。かっこ悪い。
あ、医学部以外の慶應の理系で一番偏差値の高いところ(理工だったけ?)もとりあえず合格しておいたが、この受検こそ練習のためだった。ちなみに、現役の時は東京医科歯科大学で撃沈している。その理由は、圧倒的な「あがり症」であったためだ。おそらく今思えば、あそこまで頭が真っ白にならなければ受かっていたであろう成績ではあった。だからこそ、浪人の時の練習受検は意味があったと言える。
現役時代に、医科歯科を志望した理由は「東京だから」だ。
そして、私立を受けなかった理由は、「私立に行く気がなかった」からだ。練習で受験しようという発想がなかった。
浪人して、東北大にした理由は、「旧帝大ってなんかかっこいい!」からだ。あと、「東京からギリ近い」ということもある。
しかし、実際に大学時代に実家へ帰ってくることがあまりなかったことや、東京へ遊びにいくこともなかったことを考えると、「東京からギリ近い」というのは理由としてあまり関係なったような気もする。
そして、練習受検と言いつつ「KO医学部」しか受けなかったのは、「それ以外行きたくない!っていうか、学費高っ!」という理由だ。「KOだったらかっこよさがあるので頑張って学費払っても行く価値はありそうだが、それ以外の私立だったら、国立の方がましじゃないか」と、その当時は思っていた。しかし、今となっては「東京に住む」ということがどれだけ価値のあることか実感しているのでKOでなくとも、東京の私立の医学部に通う価値はあるのではないか、とも思う。それだけの財力があればの話だが。
大学時代
ここからは、受験の話とは関係なくなってしまうので割愛するが、とにかく最高に楽しかった。
だが、仙台は寒い。とにかく寒いのが苦手なので、初期研修からは東京へ出ることにした。
初期研修移行の話については、後日記事にしていこうと思う。
大学受験までの道のりを振り返っての感想
思えば、僕は「しっかり椅子に座ってじっくり勉強」という勉強はほとんどしたことがない。
おそらく、受験勉強において、「質より量、時間」というのはそうであろう。
「しっかり椅子に座ってじっくり勉強できる時間」というのが、「精神的にできれば」受験勉強の攻略は簡単だろう。
しかし、それができないのだ、僕の場合は。
机に向かって座ったとしても「集中できる時間」はかなり少なかったように思える。
すぐに、他のことに気が散ってしまい、勉強以外のことに時間を費やしていたことが多かったように思える。
では、なぜその僕が一般的に高学歴と言われる大学に合格することができたのか?
それは、圧倒的な集中力だ。
ただ、時間は短い。
自分が1日に集中することのできる時間は3時間。
そして、その3時間に「全集中の呼吸」だ。
その3時間”だけ”は集中していた。しかし、それ以外は集中できなかった。
一見8時間自習室にこもっていても、3時間以外の5時間は頭を使っていないか、ぼーっとしているか、他のことを考えているか、であったように記憶している。浪人の時でさえそうだ。
そして、もう一つ
”集中できないと分かっていても、無理やり勉強した”
ということだ。
特に、朝の満員電車の中、物理の「難問題の系統とその解き方」という「クソ分厚くて、文字のちっちゃい、しかも数字の計算がある」という「絶対に立ち読みで勉強できるはずのない問題集」を開いて、「頭の中でだけで計算式を立て」「勉強していた」。
これが、実際に成果を出していたか、と言われるとそれは分からない。
しかし、ここで重要なのは
これだけやっているんだ、これだけやっている自分が落ちるわけがない
という自信をつけることができること
だ。
根拠のない自信はどこから出てくるのか、と言われると、こういう地道な積み重ねから出てくるのだと思う。
根拠はないが、”圧倒的に”頑張っている自分。
その自分に酔っていた、と言っても過言ではないだろう。
自分に陶酔する、というの何事においても大事なことではないだろうか。
いつか話をしようと思うが、大学時代のスキー部での結果を出すときでも同じようなやり方をした。
このような
”圧倒的に頑張り、根拠のない自信をつける”
という方法だ。
思えば、本当に大学受験を意識した勉強という勉強は浪人時代くらいしかしたことがなかったし、西大和学園での定期テストなどは直前しか勉強したことがなかった、とはいえ、最初から大学受験を見据えた教育を6年間もされていれば、そこそこの学歴を手に入れることができるのは当たり前だと思う。
ただ、よく大学受験だけに中学と高校の貴重な時間を割いてしまって、可哀そう、などという人がいるが、本当にそうか?
確かに、他の突出した才能や、他のお金を稼ぐための手段、経営における才能、などがそれくらいの年齢で爆発的な結果を残していれば、その子を大学受験に集中させてしまうのはもったいないと思う。
しかし、99%の人は凡人だ。
その凡人が、世の中で他の人より少しでも優れた結果を残すための手段として、一番簡単なのが「大学受験で勝つこと」なのだ。
他に、もっと簡単に凡人でも結果が出せるものがあれば教えてほしい。
おっと、熱くなってしまった。
僕は、結果的に親父の思った通り、医者になりここまできた。
本当に感謝しかないし、ここまで自分がこれたのも、全て親父、おふくろ、のおかげと思っている。
むしろ、ここまでの道のりを示してくれなかったら、僕はどんな人になっていたのだろうか、と思う。
親父とおふくろの子供でよかった、と心の底から思う。
両親ありがとう!!!
今日はここまでだ!